トップ » 真言宗とは » 真言宗の歴史

真言宗とは 歴史 密教の祖師 弘法大師 興教大師覚鑁 専誉僧正

開宗の背景

南都六宗(法相宗、三論宗、成実宗、倶舎宗、律宗、華厳宗)と呼ばれる奈良仏教は、一口に国家仏教、学問仏教というべきものでした。 寺院は官寺かんじであり、僧尼は官吏かんり(国家公務員)でした。そして律令体制のもとで主に呪術的な祈願にたずさわり、体制をささえる役割を果していました。 僧侶たちも人々の苦しみを救うという仏教本来のつとめよりも、むずかしい理論研究におちいりがちでした。 しかしやがて本来の使命に目覚め、人々のために生きようとする僧侶たちにより、山林に苦修練行して自らを磨き、世のため人のために働こうとする民衆仏教が芽生えてきました。 また平安遷都に伴い、新しい国づくりを目指す日本にとっては、その原動力となるような生命力に満ちあふれた、新しい教えの出現が求められていました。 このような時代的、社会的な課題を踏まえて、真言宗は開かれたのです。

開宗の意義と歴史

青龍寺
青龍寺 

密教を正式に日本に定着させたのは空海(弘法大師)であることは既にご存じでしょう。その源を遡ってゆくと、インドに辿り着くことが出来ます。 インドでは仏教が定着する過程でヒンズー教との融和を重ね、神秘主義的な仏教へと展開しました。 特に祈祷/呪術的な精霊への信仰の側面を、具体的事象への働きかけと力ととらえ、その優位性を主張したのが真言密教です。
後に7世紀中頃からそうした現世利益の他、大日如来の信仰を中心として成仏を目的とすることが説かれる様になり、その実践を重視する『大ひ経』や『金剛頂経』が成立します。 後にこれは中国で善無畏、金剛智らによって翻訳され、一行、不空によって完成されることになります。
空海によってもたらせたとされる真言宗ですが、お経そのものは既に伝えられていたものでした。空海はこれを学ぶために中国「青龍寺」にわたり、 法身仏大日如来から第7祖とされる恵果和尚より、その秘宝を伝授され、第8祖を継承することになるのです。天台宗においても密経的要素を取り入れていますが、 この場合、京都・東寺を中心に展開した真言密経を「台密」と称して区別されています。空海は日本に帰朝した後は、単に真言密経の布教に止まらず、 治水事業・学校の創設など多岐にわたる活躍をし、承和2(835)年に入定します。定とは禅定のことであり、その遺告が「現在は兜率点の浄土中にいるが、弥勤菩薩が下生する時、共に現世に下る」とあることからも分かる様に、 死を意味するものとは考えられてはいません。空海は単に真言宗の祖師としての尊敬を超えた信仰の対象となっていることをうかがうことが出来るでしょう。



実相寺へのお問合せ 葬儀・法要読経、地鎮祭・上棟式・仏壇開眼